1940年7月1日、一人暮らしの寡婦Kは、ロンドン郊外の自宅の玄関前で瀕死の小鳥を見つけました。温かいフランネルで包んで台所の炉辺に座り、くちばしが開くようになってから、マッチの軸で温かいミルクを小さな喉に一滴ずつ垂らし、小さな鉢の内外を毛糸で覆ってその中に入れ、温かな戸棚にしまいました。
翌朝、彼は生きていました。それからは絶えず餌をせがんで、成長していきました。彼は彼女を保護者と思い込み、部屋のどこへでも付いて歩きました。そして夜は彼女の首元で眠りました。子雀は右翼が変形していて空を飛べるようではなかったので、彼女は家で飼うことにしました。
彼女が外出して帰ってくると飛ぶような勢いでやってきて、しゃべりながら足から肩までよじ登り、襟の中に潜り込みました。また彼女の前だけでは、ぴょんと蹴ってひっくり返り、お腹をくすぐられるのが好きでした。彼はきれい好きで、鉢の外でフンをしたので、その下には洗濯のできる布を敷きました。
ある時、友人の女医が来て彼女のベッドに泊まった時は、すごい勢いで彼女を攻撃してベッドから追い出しました。スズメにベッドを追い出されたのは初めてだと、感慨深げに言いました。
彼には大きな籠を買いました。彼女が出かける時は、お気に入りのヘヤピン、トランプの札、マッチ棒を入れて遊んでいました。好きな食べ物は、麻の実、レタス、リンゴ、ビスケットで、嫌いな物は玉ねぎです。匂いが分るのでしょうか?
この時は戦争中で、ロンドン郊外も度々空襲に襲われました。ところが彼女の留守中であっても彼は籠の中のブランコに避難して助かりました。これは本能でしょうか?彼女は彼をエンターテイナーとして役立てようと思いつき、避難所で彼とのヘヤピン綱引きをしたり、トランプ回しをしたりして、大喝采を受けました。そして子供たちの人気者となり、クラレンスと名付けられましたが、彼が返事するのは「坊や」という呼びかけだけでした。
ピアニストでもある彼女は、彼を肩に乗せて弾きました。そうするうちに彼は高音でトリルを歌うようになります。そこで数人のお客を招いてコンサートをしました。かれは素晴らしい歌を披露してくれました。ただ、聴衆の大拍手に恐れをなして、二度と人前では歌ってはくれませんでした。それからは彼女だけの喜びになりました。
成鳥になってからは彼は自分のしたいようにしかしなくなります。例えば掴まれるのは嫌で、自分から彼女の右腕に飛んで来て止まります。庭のお気に入りの木が切られた時も怒りました。また彼女が新しいドレスを着ると、そんな人は知らないという顔をして飛び去ります。しかし最後は彼女のところへ来て「男の子の一番の親友は、お母さん」という風情をします。
彼も歳を取ってきました。心臓が悪いようだと言われて薬を混ぜたエサを与え、籠の中の止まり木も低くします。彼は自分で止まり木を跳び越す訓練をしました。ただ、薬の入ったスプーンには嫌そうなそぶりをしました。そして毛布を敷いた鳥かごが、彼の居場所になりました。彼は歌うことはしなくなりましたが、おしゃべりは相変わらずしてくれました。
彼は12年と53日生きて、彼女の手の中で動かなくなりました。小さな墓石には「クラレンス その名もほまれ高き いとしいスズメよ」と墓碑銘が捧げられています。
*この婦人と右翼を痛めたスズメの愛情と信頼には、深く胸を打たれました。
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