ヨーロッパに着いた少年たち『風神雷神~下』(原田マハ)

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風神雷神(下)

少年たちが涙を流す出来事が、ゴアで起こりました。日本を出る時から父のような存在だったバリアーノがインドの管区長になられて、ゴアに留まることになりました。一緒にローマに行けないことを、心から残念に思って泣きました。宗達には「そなたも使節の一員ゆえ、前を向いて進んで行きなさい」と力強い言葉をかけてくれました。

1583年12月、ロドリゲス師と共に一行はゴアを後にしました。アフリカ大陸の最南端・喜望峰を祈りながら通過し、セント・ヘレナ島で数日過ごしてから嵐に遭い、ようやくポルトガルのリスボンに着きました。ヨーロッパの建物が白い石でできていることに、びっくりしました。しかも内部にはどの部屋にも人物画が飾ってあって、宗達は驚きました。

リスボンからは馬でスペインへ。国王に謁見し、各地で歓待され、イタリアのトスカーナ大公国・ピサに着きました。少年たちは裃姿で大公閣下と美しい妃殿下に歓待されました。そしてフィレンツェへ。その地ではメディチ家の礼拝堂で、素晴らしいマリア像を拝むことができました。

1585年3月22日、ついに一行はフラミニア門からローマに入りました。その先にはローマ教皇がおわすバチカンの建設中のドームがありました。翌日、ついに3人の少年はグレゴリウス13世に謁見が叶いました。その直前に病になったジュリアンは叶わず、宗達は後ろの席でその情景を絵に描いていました。「東方から来たりし三王」は有名になりました。

システィーナ礼拝堂では、度肝を抜かれました。祭壇、四方の壁、天井にまで聖書の物語の絵が描かれ、まるで天国のようでした。案内役の神父から、板の上に寝そべって天井画まで描いた画家は、ミケランジェロという名前だと聞かされます。ぜひ会いたいという宗達に、「もうこの世にはおらぬ」という答えでした。

ローマに滞在中にグレゴリウス13世が逝去し、シクストゥス5世が誕生しました。その後、一行は威風堂々の騎兵隊列でミラノに到着します。7日目に宗達と原マルティノは願いが聞き遂げられ、サンタ・マリア・デッレ・グラティエ教会の食堂で、レオナルドダヴィンチの描いた「最後の晩餐」を見ることができました。

その上、イタリア人の少年絵描き・カラバッジョと出会います。二人は絵への情熱を語り合い、素晴らしい絵を描いてまた会おうと約束します。その後宿舎に、カラバッジョから漆黒の地の右と左に風神雷神を描いた絵が届きました。宗達も徹夜で金地に風神雷神を描いて、渡しに行きました。

1585年8月、一行はジェノバを出航して日本への帰途につきます。往路と同様、長いながい航海になります。少年たちも3年半の年月を過ごして、青年になり、互いにかけがいのない友となっていました。「帰国したら京都へ来いよ。ローマへ行くよりはずっと近いぞ」と宗達は言いました。

*私も見たシスティーナ礼拝堂の絢爛たる天井画が目に浮かびます。航海の困難と日本とイタリアの名画、そして少年たちの友情に胸がいっぱいになる物語です。

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