父の最後を看取りながら思うその人となり『無名』(沢木耕太郎)

無名

この作者の『深夜特急』以来のファンです。

実の父の最後を、母・姉2人と交替で見守りながら、父の生涯と人となりを描き出した心に沁みるノン・フィクションです。

彼の父は築地で生まれ育ち、白金と麻布で暮らし、戦後は池上に住んでいました。そして亡くなるまでの10余年を初めて東京を離れ、埼玉県の草加にあるマンションで、母と独身の下の姉と住み、読書と音楽と散歩で静かに暮らしていました。

89歳の夏の終わりに脳出血を起こして入院します。前の年の1月に米寿祝いをした折り、「少し長く生きすぎてしまったな」と言いました。そこで、58歳から10年足らず、俳句をたしなんでいたことを思い出し、「句集を作りましょう」と言うと、「いいんだよ、そんなことしてくれなくても」という答えが返ってきました。

入院中、昼間は母、夜は姉2人と輪番で詰めました。寝ずの見守りをしている間、父の俳句を全部母に持参してもらい、読みました。技巧のない素直な句でした。

本を読むことも父から自然に教わりました。父は、聞くと何でも教えてくれました。でも父から何かを強制されたことは一度もありませんでした。

そしてお酒が好きでした。一度だけ、大森の小料理屋で一緒にお酒を飲んだことがあります。2人合わせて一升四合飲みましたが、2人とも普通に帰ってきました。

この末っ子の男の子を特にかわいがった様子もなく、彼のすることに徹底的に不干渉でした。高較生のころからJRの均一周遊券で1人旅をする息子に、何も言いませんでした。

そして2人の姉には「何もしてやれなかった」と悔いています。娘たちのほうは、真っ直ぐな父に育てられたことを誇りに思っているはずですが。

入院中、しばしば「家に帰りたい」と言います。ついに医師も折れて、毎日医師が看に行くという条件で、自宅に帰ります。住み慣れた家で、かなり元気になりました。食事も口から取れるようになります。

ある秋の朝、娘とワイドショーを見ながら、面白そうに笑い、次の瞬間、ふっとベッドの背にもたれて、そのまま意識がなくなりました。

同じマンションの大勢の方々に見送られ、家族とその連れ合いと孫、唯1人の兄の娘だけの葬儀。

その後、息子は句集を出すことに専念します。

ついに、クリスマスにプレゼントのように、句集が出来上がりました。「句集 その肩の 二郎」350首を春夏秋冬で分けました。

著者も良いと思った句を、ここに記します。

  我儘の通る寂しさ夕端居

  尖塔の十字二月の利鎌月

  その肩の無頼のかげや懐手

  迎え火は母若くして逝きにけり

  この路のつづくかぎりのコスモスぞ

  屋根裏の巴里寒しと便りの来

この句集に息子の挨拶文を添えて、父の友人・知人に送りました。

私は日本中のほとんどの無名の父たちの中でも、幸せな父の部類に入るのではないかと、心打たれました。家族は仲良く、ちゃんと心を尽くして最後まで見守りました。

唯、多くの方に彼の人生を読まれてしまったことは、「困ったなぁ」と思っていらっしゃるかもしれませんね。

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