青春時代と冒険の私小説『そらをみてますないてます』(椎名誠)

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そらをみてますないてます

冒険家で遊びが得意な大人、という印象の作家の青春時代の物語と冒険旅行の物語が交互に語られています。真似はできないので、青春時代を先にまとめて書きます。

19歳の彼は、レストランの地下で夜中に食器洗いをするアルバイトをしています。朝の3時半に終わって、帰って寝ると目覚めるのは午後。そのため大学は中退します。ある朝、田町の駅前でやくざに絡まれ倒されます。そこでタクシーを降りたイスズミと会います。目の大きなきれいな人でした。彼女の古びたアパートに連れていかれました。その不思議な名前はお店での名前だそうです。その後、アパートでやくざと鉢合わせして殴り合いになりました。相手に相当のけがをさせました。それからしばらくして訪ねると、もう彼女はいませんでした。

日雇いで東京湾の港での力仕事をしばらく続け、それから友人の紹介で金属問屋の倉庫の仕事につきました。運ばれてくるさまざまな金属板を二人ずつでバランスを取りながら倉庫に収めるのでした。お弁当は近くの仕出し屋が届けてくれます。ご飯がどっさり入っておかずも種類があって助かりました。彼は運転手の助手として都内のお得意さんに配達する手伝いをするようになります。

ある時、楽器の部品を作っている会社に配達に行き、そこの事務員の丁寧な態度とほっこりした笑顔に引かれました。これが後に妻となる原田海との出会いでした。付き合ってからの話では、彼女の夢はチベットに行くことだそうです。僻地へ行きたい彼と話が合いました。吉祥寺に母と二人で住む家にも行き、別れるときにダッタン人の挨拶を教えられて、肘の先で両腕を交差して、手のひらを合わせました。

結婚してから、彼は男30人ほどの業界紙に勤めました。遊び半分に出したエッセイが人気になって、原稿の依頼がくるようになり、いつのまにか人気作家になっていました。日本のあちこちの書店でサイン会をするまでになり、新宿の紀伊国屋書店のときには、最後尾にイスズミがいました。「あんたが作家になるとは思わなかったわ」と言われました。

さて冒険談の方は、いつも壱と音彦と彼の3人が一緒です。最初は南極に近いチリの最先端の街・ブンタアレナスへ。チリ海軍の船に乗って氷河が林立するところへ。氷河が崩れる時はすさまじいです。この船の任務はディエゴ・ラミレスという島に滞在する3人の兵士を交代させることです。戻る兵士は勢いよく戻り、残る兵士は重い表情をしていました。この町から日本へは連絡できず、羽田に降り立ってから隅の壁に立っている妻を見つけました。

2番目は、アラスカのコールドベイから飛行機で3時間のアムチトカ。江戸時代に日本の千石船が漂流してこの島にたどり着いたという話が「北差聞略」あります。猛烈な強風との闘いでした。テントの床が水浸しで食料がだいぶダメになりました。そこでアザラシを捕り、ステーキにします。ただ漂流民の気持ちは理解できました。

3番目は北東シベリアのウスチ・ネラ。外気温は零下55℃。うっかり金属には触れられません。音彦は機械を使うので、凍傷になりました。外では水を飲んでも酔っぱらってもいけません。翌日、案内人と3人は馬に乗ってタイガに向かいました。漁師小屋のようなところに二人の青年が毛皮を敷いて暖炉を焚いてくれました。この寒さでは珍しい動物も出ませんでした。

4番目、一番最近は中国の「タクラマカン英雄遠征隊」の中に混じりこみました。さまよえる湖=ロブ・ノールとその近くにあった「楼蘭」を撮影する目的がありました。椎名氏にとっては小学生の時からの夢であり生きる目的でした。

タクマラカン砂漠には、風が作った1~5mの高さの砂の固まった障害物があり、それを乗り越えて行くのが大変でした。用意された食料は石のように固いパンと錫が溶け出している缶詰で食べるのに苦労しました。途中に塩の川がありミーランというオアシスに着きました。その地で出されたお粥と饅頭が美味しくて救われました。そこからはトラックです。幌をかぶっているものの隙間から砂が入って、歩くのとはまた別の辛さがありました。

4日目に「ロブ・ノール」に着きました。何百年も干上がったままの湖です。大谷探検隊が入ってから80年ぶりの日本人です。そこからまた障害物競争のような小山の畝を超えて楼蘭にたどり着きました。小学生の時からの夢だった楼蘭に走って最初に入りました。

この物語は、椎名氏独特の勢いのある文章で読むのが一番です。

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