友人の文化人類学者・畑中幸子さんの「あんたも来てみない?ほんまにええところや」の誘いに乗って、1968年3月インドネシアを訪れた後に、ニューギニアにやってきた作家・有吉佐和子のありのままの記録です。
小さなセスナ機でオクサプミンに着いてからは、十数人のオクサプミン族に荷物を持たせて、3日かけてジャングルの中をヨリアピの畑中さんの家まで登ることになります。有吉さんは東京でさえあまり歩いたことがありません。畑中さんの合図でシシミンたちはあっという間に走って、見えなくなりました。木の根に掴まってよじ登って行くうちに足が痛くなってきました。お昼にはチョコレートをかじり、ズルと名づけた男が手を引いてくれることになります。キノコにも葉にも毒のあるのがあるというので、気を付けねばなりません。小柄で穏やかな畑中さんと思っていたのに、大声でシシミンたちを怒鳴ります。その夜はテントの中に倒れこみました。何で誰もニューギニアへ行くのを止めてくれなかったのか、と恨めしくなります。
3日目にはとうとう歩けなくなります。簡単に編んだ蔓にしばられ、こん棒から吊るされて豚と同じように運ばれます。オム川のほとりを切り開いてオーストラリア政府が立ててくれた畑中さんの家は、立派でした。広間の奥に8畳間が二つありましたので、その一室が有吉さんの部屋です。へとへとで足の爪は剥がれそうです。
畑中さんの家の背後に、ポリスと通訳の家、彼らの使用人の家、畑中家の使用人の家が建っていましたが、いずれも粗末な小屋でした。畑中さんが優遇されているのは、シシミン族はその3年前に発見された種族で、政府には実態が分かっていません。そこへ畑中さんという学者がやってきたので、オーストラリア政府にとっては好都合だったのです。
ここでの生活はなにもかも東京とは違います。不便というだけではなく、なにもかもが大袈裟です。午後の暑さは何もしたくなくなるほどですし、刺してくる虫たちは大きくとんでもなく痒いこと!夜に見える蛍も大きくて情緒は感じられません。水は茶色い川の水を汲んできますし、食事は質素で乾パンとコンビーフの缶詰、それに裏の畑で作ったトマトだけです。
畑中さんは、朝早くから通訳を連れてシシミンたちの言葉や習慣の聞き取りをしに出掛けます。お昼に帰ってくると、タイプをたたいて記録しています。粗末な食事でよく働くなぁ、と感心してばかり。穏やかな人だったのに、ここではシシミンたちをよく怒鳴りつけています。この種族は女性を豚3匹と同じぐらいにしか見ていないので、馬鹿にされないように厳しくしているのだそうです。それでも酋長や女性たちが毎日のようにやってきて、2人のことを眺めたり何か欲しがったりします。
シシミンたちの困ることは、皮膚が象やワニの皮のようで、匂いがきついことです。しかもその皮膚病がうつるかもしれないと脅されます。東京でも家事をしたことのなかった有吉さんは、何か役に立つことはないかと考え、倉庫にねむっている布地を出してきます。古新聞で小学校で習ったパンツの型紙を取り、それを布地において切り、返し縫いで作りました。ゴムひもを通して出来上がり!畑中さんはとても喜んでくれました。そして下働きの男を呼んできて、シダの葉を取ってはかせると、大喜びをしました。「もっと縫ってくれへん?」と嬉しそうに言われ、やっと役に立てたと喜びが湧き出でました。
次にいつもその辺をちょろちょろしている8歳くらいの男の子のパンツを縫います。それを渡してはかせるとき、畑中さんは「これはあんたの物だから、決して人に渡してはダメ」と言い聞かせました。未開民族に個人主義を吹き込んだのです。それから合計11枚縫いました。「阿保に鼻かめと言ったら鼻血が出るまでというけど、あんたもその口ね」ですって。
酋長の第二夫人がお産をしたと聞いて、「ぜひ一緒に行って」と頼まれて、作ってくれた筏に乗せられ、ルナ川を渡って山の上へ行きます。小さなお産小屋から出てきた第二夫人は美しい目をした美人で、健康そうな赤ちゃんを抱いていました。さっそく畑中さんは通訳を使って様々なことを聞いています。どうも性に関することのようです。けれどもなかなか上手くいかないようでした。「言葉をもっと習得しないとダメだわ」。まったく大変な仕事だとほとほと感心してしまいました。
ある日ポリスたちが天を指して何か言っています。外へ出るとヘリコプターが飛んでいます。皆で大声で叫んで手を振りました。するとフラフラと草原に下りて来たではありませんか!?操縦士は道に迷ったと言っています。畑中さんの合図で私は大急ぎで自分の荷物をぜんぶ大風呂敷に入れました。畑中さんは彼にお茶とケーキの缶詰を開けて出し、この人をオクサプミンまで乗せてほしいと頼みます。「お安いことですよ」という彼の返事に、お礼の言葉もでませんでした。ハプニングが有吉さんを山越えの苦難から救ってくれたのです。
その後、ヨリアピでの体験を話すと、みんなケタケタ笑います。そして「その女性は豪傑だなー」と言います。「傑物ですよ。未開そのものよりも畑中さんをニューギニアで見た方が大きな収穫でした」と答えました。
*有吉佐和子さんの表現力で、しばしば笑ってしまいながら読みましたが、こんなところで仕事をしている女性がいるのだと、心から感服しました。文明も進んでくると問題が多いですが、未開の地はなんて大変なのでしょう!今いる自分の世界を感謝して、悪くならないように気を付けて暮らしていきたいと思わされました。
コメント