戦争と難民の今『こんぱるいろ、彼方』(椰月美智子)

こんぱるいろ、彼方

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奈月は大学生です。友人と3人で夏休みにベトナム旅行をする予定です。その話を聞くと、母の真依子は迷い悩みましたが、一大決心をして奈月の前に戸籍謄本を置きます。そこには、母の出生地がベトナム国ニャーチャン市と書いてありました。

夢にも考えたことがなく、奈月は驚きます。私は日本人とベトナム人のハーフ?おじいちゃんとおばあちゃんもベトナム人?欄伯母さんと強司伯父さんも?そういえば、おじいちゃんとおばあちゃんの話し方はちょっと変でした。

びっくりして気が転倒している奈月に母は話してくれました。ベトナム戦争の難民としてボートに乗って日本にやって来たと。「ボートピープル」という言葉は知っていました。でも自分の家族がそうだったなんて・・・!?奈月はそれ以来母と口をききません。今まで黙って隠していたことに一番腹を立てています。

麻衣子は幼い子供で、日本に来てからは日本語だけで充分暮らせたし、のんびりした性格のためそのまま日本になじんでしまいました。兄と姉は優秀で大学も出ましたが、麻衣子は専門学校を出て就職して結婚して今に至ります。ベトナムの事もその歴史も遠い話です。ところが奈月はそれからベトナムのことを調べ始めました。

奈月は友人二人とベトナムのホーチミンに着きました。川は茶色で、ひっきりなしにバイクが走る道路には信号がありません。なんとか渡れました。樹齢100年ぐらいの存在感のある木があります。フランスの植民地時代、日本の占領、インドシナ戦争、南北分断、ベトナム戦争・・・すべてを見てきたような貫録のある木です。

旧大統領官邸である統一会堂は、1975年4月30日にベトナム戦争が終わった時の建物です。その後、戦争証跡博物館へ。戦争中の生々しい写真が多いです。奈月はしっかり目を開けて見ていきました。枯れ葉剤の障害はひどいのに、アメリカは補償しないそうです。3人は怒ります。夜、20歳になったばかりの3人はビールで乾杯しました。

翌日はクチトンネルツァーです。インドシナ戦争中に作られた南ベトナム解放民族戦線の根拠地です。排水溝のような穴の蓋を開けると、人が一人やっと通れる真っ暗なトンネルでした。自分の国を守りたいという強い思いを知ったら、アメリカはあきらめたでしょうか?

戦争が終わって、北ベトナム人は裕福になり、南ベトナムの2百万人ほどが海外に出ました。ボートピープルと言われて脱出した人も多かったですが、途中で嵐に遭ったり海賊に襲われたりして、無事に日本に着いた人たちは幸運でした。奈月の祖父・祖母とその子供たちはラッキーでした。日本に根付いています。その夜、ホテルで家族全員に絵葉書を書きました。

3日目は雄大なメコン川クルーズをしました。川の色はコーヒー牛乳色です。途中で小さな船に乗り換えて支流に行きます。広大なジャングルが広がっていました。水辺で暮らす人々、メコン川の魚の料理が印象に残ります。

4日目は国内航空でカムラン空港に下りました。そこでは、祖母の従妹たちが出迎えてくれました。戦争が終わって40年以上経っているのに、日本へ行った親族のことを心配しているのでした。言葉が通じないので、ガイドさんが通訳してくれました。

翌朝、早起きして海岸に出るとたくさんの人がいました。水平線からオレンジ色の光が差し、まっすぐに波打ちぎわまで伸びてきました。海の色は金春色です。

朝食後、奈月は友人たちと別れて祖母の従妹の家に行きます。二階建ての大きな家で、祖母の結婚式の写真を見せてくれました。そして息子さんがパソコンで、欄伯母さんとスカイプでつなげてくれました。祖母の親族はアメリカにもフランスにも行っているそうです。おばあちゃんが育ち、母が生まれたニャチャンを好きになりました。

帰宅してからの奈月は、祖父母を偉いなーと尊敬の眼差しで見るようになります。そのおばあちゃんはフラダンスの発表会で上手に踊って、皆に感心されて喜んでいます。欄伯母さんの娘の美咲は母たちがボートピープルで日本に来たことを知っていて「自分は自分でしかないでしょ」と、あっさりしています。

今はベトナムに一緒に行った二人の友人と、次はどこへ行こうか話し合っています。海外旅行は自分の視野を広げてくれますから。

著:椰月美智子
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